D2013年5月7〜8日
サイコロ気儘旅
(秋田)桜の町・角館



2日目の朝、
秋田駅8:02発の
こまち26号で、角館へ向かいます。


43分で角館に着きます。桜・・・咲いてるかナ


角館駅前蔵では
手荷物、一時預かりのサービスがあります。
気のせいか、自販機も.桜色に染まって.お色気たっぷり


準備万端整いました、いざ・桜の街へ出発です。
先ずは「火除け」から「武家屋敷通り」へ.
火除けとは…耐火構造が無かった時代、火災は最も恐れられていました。
町人町からの火災の延焼を防ぐために造られたのが「火除け」です。
角館は南北に長い町並みになっており、その中央に「火除け」(ひよけ)と呼
ばれる広場があり、「火除け」をはさんで北が「内町」と呼ばれる武士の町
南が「外町」(とまち)と呼ばれる町人の町となっています。

みちのくの小京都、角館の歴史
●戦国時代には戸沢氏の本拠地で、関ヶ原の合戦後の
 1602年(慶長7年)、戸沢氏が常陸多賀郡へ転封、
  佐竹氏が秋田へ入部し久保田藩領となります。
 翌1603年(慶長8年)佐竹義宣の実弟にあたる蘆名義勝
 が所預(ところあずかり)として角館に入りました。
角館の町並みをつくったのは芦名義勝(蘆名?)で、
 元和六年(1620)いままで館のある古城山の北にある城
 下町を、反対の南側に造り変えました。
 城下町は「火除け」と呼ばれる広場を中心に、北は内町
 と呼んで武士が住み、南は外町と呼んで町人や商人が
 住む町割りです。今から380年ほど前のことです。
 芦名家のあとを引継いだ佐竹北家の角館初代佐竹義隣
 と二代目義明夫人が京都の公家の出で、京都の生活と
 文化を取り入れます。小倉山、花場山、鴨川など京都に
 ならった地名が、今も幾つか残ってい
ます
●その義明夫人が京都からの嫁入り道具の一つとして
 持ってきたシダレザクラが、現在の武家屋敷の枝垂れ

 の始まりとされています。

●戊辰戦争では久保田藩は新政府側に立ったことから、
 奥羽越列藩同盟に参加した周辺諸藩の侵攻を受け
るこ
 ととなったが、東北諸藩が続々と新政府に降伏したため
 に同盟側が久保田藩領からの撤退を開始し、
 角館は戦禍を免がれました。

角館駅から武家屋敷保存地区まで徒歩で10数分です。
この時間の観光客はマバラ…
『新鮮な山菜はすぐに売り切れますョ。
  お帰りまで.お預かりして置きますから』

と、角館のお店は、商売がお上手




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