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2009年8月29日

新シリーズC熊野古道
海士王子・岩内王子・塩屋王


熊野古道は完歩したと思っていたら、マダ歩いてない処がありましたので、
臨時割り込み参加を致しました。



大阪梅田 湾岸線・阪和道=川辺IC=かみなが姫公園海士王子跡法林寺
岩内王子跡塩屋王子神社祓井戸観音寺清姫草履塚ゴール「はし長」


行程地図は、地図内をクリックすると、大きくなります。


かみなが姫公園〜吉田八幡神社〜海士王子跡
かみなが姫とは、宮子姫のことです。宮子姫は奈良時代の大物・藤原不比等です。
その不比等の娘が軽皇子(
文武天皇)と結婚して聖武天皇を生みます。そして不比等は、
もう1人の娘の安宿媛(光明皇后)を聖武天皇と くッ付けて…生れたのが孝謙天皇です。
チョッとややこしい人間関係なので、系図にしてみました。・・・・・・・・・・・・・・・
                →
和歌山県の御坊では、この宮子姫藤原不比等養女であると伝説に残っています。
御坊市観光協会・ホームページの「
宮子姫伝説」をご覧下さい。



海士王子は、小松原宿所を控えた要所で御幸記建仁元年以後由緒ある王子社でした。
この辺りは「九海士の浦」と呼ばれていたと聞きました。それで海士王子かナ?



湯川神社〔小松原館跡〕
湯川神社は安産の神様で、「子安さん」と呼ばれて親しまれています。
亀山城主、湯川直春の妻、「富の前」が、この神社に産室をつくり、富士山のふもとの浅間神社の
分霊を勧請してまつったところ、すこぶる安産だったとかで、その村は「富安」と呼ばれるようになり、
いまでも「富安」という地名が残っています。
境内の小松原館跡は、亀山城の城主・湯川直光が、「亀山城は寒くて住み難い」と亀山の山麓に
居館を構えたものらしい。

亀山城って、アチコチに同名のお城があって、ややこしいですネ
伊勢国の亀山城・・・三重県亀山市本丸町
丹波国の亀山城・・・京都府亀岡市荒塚町〔亀岡に有る城なら亀岡城だと思うのに?〕
そして、ここ紀伊国の亀山城です。
室町時代初期、初代光春により築かれ、以後12代直春まで湯川氏本城となります。
11代直光は麓に大規模な平城(小松原館)を築きました。
守護職畠山氏の本城を攻め、事実上の守護代であった栄華も、天正13年(1585)に
豊臣秀吉の南征軍に攻められて落城してしまいました。

0湯川神社の樟(クスノキ)は、御坊の文化財、また 天然記念物です。
高さ15m、幹周8m、樹齢約1000年以上、でッかいexclamation ×2
0それに引き換え 鳥居が やけに小さい・・・・・お社は立派なのに・・・・・



湯川神社近くの「法林寺」には、小松原館を創った湯川直光の宝篋印塔があります。





スタートのかみなが姫公園から訳3.5`、日高川に架かる新野口橋を渡ります。
橋の欄干の道成寺のイメージでしょうか……そして橋の四方には大蛇の姿
日高川道成寺大蛇とくれば、云わずと知れた絵解説法有名な安珍・清姫
お話ですネ。
安珍・清姫のお話を、超簡単に述べると
奥州白河(福島県)の山伏・安珍は、紀州熊野参詣の途中、庄司の家に泊まり、その家の娘清姫に恋され
これを避けるためにだまして出立する。怒った清姫はすさまじい勢いであとを追い、日高川へくると蛇体と
なり、川へ飛び込んで泳ぎ渡ります。安珍は道成寺へ逃げ、釣鐘の中にかくまわれますが、蛇体の清姫
は炎を吐いて鐘を焼き溶かし、中の安珍を焼き尽くしてしまうのです。

新野口橋を渡り、日高川の土手沿いを、下流に向かって歩きます。

一行は、次の予定地の岩内王子跡に向けて、わき目もせず突き進みますが
我がホームページは、又々知ったかぶりのの道草です。
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安珍・清姫の物語に後日談があるのを、ご存知ですか
鐘を焼かれた道成寺は、四百年後の正平14年(1359年)の春、鐘を再興することにしたのです。
二度目の鐘が完成した後、鐘供養をしたところ、一人の白拍子(実は清姫の怨霊)があらわれて
鐘供養を妨害します。白拍子は一瞬にして大蛇へと姿を変えて鐘を引きずり降ろし、その中へと
消えたのであります。清姫の怨霊を恐れた僧たちが一心に祈念したところ、ようやく釣鐘は鐘楼
に上がりましたが。しかし清姫の怨念のためか新しくできたこの釣鐘は音が良くない上付近に
災害や疫病が続いたため、山の中へと捨てられてしまいます。
さらに二百年ほど後の天正年間。豊臣秀吉による根来攻めが行われた際、秀吉の家臣・仙石
権兵衛が山中でこの鐘を見つけ、合戦の合図にこの鐘の音を用い、そのまま京都へ鐘を持ち
帰り、清姫の怨念を解くため、顕本法華宗の総本山である妙満寺に鐘を納めたました・・・と、サexclamation ×2
この「後日談」を基として、数々の芸能が生れました。
能の鐘巻、長唄の紀州道成寺、荻江節では
「鐘の岬」、義太夫節では「日高川」 です。

その代表的な一つが歌舞伎の京鹿子娘道成寺です。



日高川を渡って最初の王子跡は岩内王子です。
岩内コミュニティセンターの敷地内に石柱がポッンと


塩屋王子跡
塩屋王子神社「中右記」などの平安時代後期から鎌倉時代中期にかけての貴族たちの日記や
「新古今和歌集」などにも登場する熊野九十九王子社の一つで、別名「美人王子」とも呼ばれ、
祈願すれば美人の娘を授かると云われています。
天照大神の御神像が祀られているので別名「美人王子」になったのですか?。

この写真は、K氏より提供



「祓井戸由来伝説」という大きな看板を過ぎると、眺望が広がります。


字が小さくて、何が書いてあるのか解からないでしょう。ボチボチ解読しますので・・・
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                  祓井戸由来伝説
上看板の解読です
 御祓井戸
祓井戸の浜辺に浅い井戸がある。昔・神功皇后が三韓遠征から帰りに立ち寄ったが、その時
この井戸水でお払いをしたので、お払い井戸が祓井戸の名となったという。
            ・・・以下ボチボチ解読してゆきます




清姫草履塚
安珍を追っかけて来た清姫が、草履を脱ぎ捨てた処だと書いてありましたョ。
日本人は、こんなのが好きですネ。誰それが座った石とか、衣を掛けた松とか…


たった11`足らずのウォークでしたが、今日は暑かったexclamation ×2
ペットボトルの水を4本消費しました。自販機の有る道で
手(チョキ)




本日のゴールは、海産物卸商「はし長」の駐車場です

次回は、2009年9月12日、ココ「はし長」からのスタートとなります。