2007年4月14日
熊野古道
〔中辺路〕
ウォーク
K

岩神峠・三越峠


大阪茶屋町7:00発                                    
 紀ノ川SA 道の駅「ふれあいパーキング」昼食
小広峠 わらじ峠 仲人茶屋跡 岩神峠(王子) おぎん地蔵
蛇形地蔵湯川王子三越峠船玉神社猪鼻王子発心門王子
道の駅「牛馬王子」= 南部IC = 紀ノ川SA 大阪解散



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10:20・道の駅『牛馬童子』着、
いつものように、いつもの処で昼食です。

チョッと早目の感じですが、
集合地に近い私さえ五時起きでしたので
・・・
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本日のコースは、
熊野古道・中辺路の中では最大の難所と聞いております。
総勢四十四名、如何なりますやら
…私が一番心配なのは自覚してますが…



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311号線から間道を一気にバスで小広峠まで駆け上がり、
小広王子からのスタートです。

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明治の道路改修以前は、もっと高い峠の上にあったというコノ小広王子
小広峠を下って草鞋峠の登りにかかって間もなくの熊瀬川王子
定家の熊野御幸記には登場しません
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鎌倉末期の熊野縁起に出ている熊瀬川王子はココかとみられていますが
小広峠とする説もあります。
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草鞋峠の付近は山蛭が多く、蛭降峠(ひるふりとうげ)と呼ばれておりました。
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草鞋峠の坂を女坂、東の岩神峠を男坂に見立て、
仲を取り持つのがコノ仲人茶屋で、
往時の旅人に親しまれておりました。
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仲人茶屋跡からは登りが続きます。
岩神峠を目指しての、頑張り処です。
男坂と呼ばれるだけあって・・・さすがに・・・シンドイよ〜
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昭和50年代以降の「歴史の道」指定と調査において、最もその位置が変わったのが
この岩神王子跡です。調査以前は熊野古道のルートそのものがよく分からなくなって
いたため、かなり東側の丘陵地を尾根伝いに登る形で、その中腹に岩神王子の位置
が推定されていたのですが、西よりの急な坂を登るルートがその後に発見され、大幅
に位置の変更がなされました。             (田辺市図書館ひとくちメモ・より)
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岩神峠から右に左にと曲がりながら下っていく道をいくと 道の右手に小さな地蔵が
まつられていておぎん地蔵という名前が付けられています。伝承によると江戸時代
京都からはるばるやってきた・おぎんという名の女性が、この地で盗賊に襲われて
命を落としそれを哀れんだ土地の人がこの地蔵をまつって供養したのが始まり。
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コノ辺りの道・石ゴロゴロ、オッと危ない
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更に下って湯川谷沿いの道までいくと、その湯川川を渡る直前の地点にぜんそくに
効くと言われている蛇形(じゃがた)地蔵がまつられています。この付近で出土した
海藻の化石があたかも蛇の鱗のように見えることから「蛇形石」と名づけられソレを
背において、お地蔵様がまつられているので、この名となったそうです。 (田辺メモ)
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ゆかわ川を渡ってしばらく進むと左手が広くなって湯川王子が見えてきます。戦国時代
この和歌山県において 非常に強い勢力を誇った湯河氏は この湯川の地を原点とし
ていたと言われています。湯河氏は現在の御坊市小松原を拠点としていましたがコノ
湯河氏を「はしの湯川」と呼びおおもとであるこの湯川王子のあった地を拠点としてい
た人々を「おくの湯川」と呼んだ、と言われています。 (田辺市図書館ひとくちメモ・より)
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湯川を過ぎると、三越峠まで・約1時間20分の登りが我々を待ち構えております。
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湯川王子から急な坂を登りきると、林道沿いの開けた場所に出ます。かつて三越峠と言われ
ていた場所で、いまでは林道のせいで峠のなごりは全くありませんが、ここからまた急坂を降
りていくので、以前は よほど険難な峠であったろう、ということは偲ばれます。   (田辺メモ)
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三越峠を下りきると赤木越との分岐点でトイレがあります。赤木越は他日に譲り、ゴールの発心門へ向かいます。
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船玉神社山の中です。
「なぜこんなところに船の神様が?」名の由来は・・・

昔、玉滝という滝があって、その滝つぼで神様が行水をしていると、急に大雨となりました。
折しも滝つぼに浮かんでいた一匹の蜘蛛がその大雨に溺死しそうになった。それを神様が
見て、榊(サカキ)の葉を投げてやった(
カシの葉であったという話も)。蜘蛛はその葉に乗って、
手足を使って船を漕ぐようにして無事に岸にたどり着きました。その様子を神様が見て船と
いう物を思い付き、楠で丸木船を造り、これが
最初の船でありました。    (みくまのねっと)
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歌碑は『病む老父を 負いて詣でし秋熊野 音無川に 紅葉映え見し、熊代敦子』と、ありました。
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中辺路の滝尻王子以後では、標高が最も低いのはコノ猪鼻王子周辺といわれています
おかしな名前の王子ですが、地名として最初に見られるのは藤原宗忠の「中右記」にある
「亥之鼻」ですが、鎌倉時代の参詣記から猪鼻王子が記載されています。         0
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たっくん坂
猪鼻王子から発心門王子まで15分のたっくん坂15分なんて嘘や
私には 30分以上に感じる 残酷な坂道でございました。 あァ〜ァ
このルートを探し出した地元役場の人の愛称がたっ君だったと人の噂。信じてイイんでしようネ
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本日のゴール、発心門王子
吉野にも発心の門、別名では 銅(かね)の鳥居というものがありますが、そちらが
本体である金峯山寺・蔵王堂までの距離がそれほどでもないのに比べ、ずいぶん
と本宮から遠くにあるのがこの発心門王子です。よく五体王子の1つとして紹介さ
れていますが、この発心門王子を、五体王子として記述しているのは 室町時代の
参詣記「熊野詣日記」だけであります。      (田辺市図書館ひとくちメモ・より)
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澤熊講師と行く『紀伊路・中辺路十三回シリーズ』は、今回で十二回目。
本来なら五月五〜六日の十三回でめでたく満願となるのですが、残念ながら、私は
昨年・三回目からの参加でございまして、第一回・第二回が抜けております。
よって今年は改めて5月19日から始まる第一回と6月16日の二回目に参加致しまして
最終回の熊野三山は2008年5月の参加と致す所存でございます。
3回目から10回に渡り ご昵懇にさせて頂きました皆様とは、完歩の祝杯を挙げる事が
出来ず非常に残念ですが、
来る五月五〜六日の十三回目が好天に恵まれ、皆々様が、お元気で最終回を お迎え
になられることを、心からお祈り申し上げております。
ありがとうございました。(2007年4月14日)



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