2007年1月13日
熊野古道
〔中辺路〕ウォーク
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紀ノ川SA=芳養王子…天神崎…潮垢離場跡
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出立王子…道分け石…蟻通神社…とうけいじんじゃ

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梅田7時30分発、本日は渋滞ナシで『とれとれ市場』に11時前に着。
まずは腹ごしらえ・です






芳養王子社跡
藤原宗忠が天仁2年(1109)10月に参詣したと日記「中右記」に記すなど、
多くの文献に名が残る王子です。






和歌山県の名物・『さんまの丸干し』





一里塚地蔵
一里塚とは、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)です。
平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが
最初と言われてます。江戸に幕府が開かれた翌年に江戸に至るおもな街道に一里塚
を設置する命令が出されました。
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お正月の〆飾りが、チョッと かわってますネ。




バス停・『牛の鼻』を過ぎて熊野古道から少し外れた海沿いを
『天神崎』に向かいます。







                  





潮垢離浜跡
熊野三山に入るため、最後の潮垢離場となった所です。





出立王子跡
建仁元年(1201)の御幸記では後鳥羽院に同行した藤原定家が不覚にも
風邪をひき、出立での潮垢離を辞退したところ、厳しく叱責され、やむなく
潮浴びをしたと伝えられています。王子社はもと元町西郷の御所谷附近
にあったといわれていますが、現在はこの位置に移されています。  
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ここを過ぎた辺りで町中にサイレンが鳴り響きまして、
「津波注意報が出ました…」なんて放送に
吃驚仰天しましたが、地元の人は案外平気みたいで、
町は平常通り、静かなものでした。
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大辺路、中辺路の分岐点となっており、田辺特有の迷路のような町並みのため
参拝者が道に迷わないよう市内には、道しるべとして石碑が建っています。  
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蟻通神社
 【蟻通伝説】
 その昔、唐の帝が日本を取ろうと企て、難問をしかけてためそうとしま
 した。第1問は「流れる枝の元と末の見分け方」、第2問は「蛇のおすと
 めすの見分け方」、第3問が「七曲がりの玉に糸を通すこと」です。これ
 らの難問に誰も答えることができませんでした。
 この伝説によると、当時わが国では40歳以上の年寄りを都から追放し
 ていたのですが、親思いのある中将は両親を追放せず、ひそかにかくまっ
 ており、両親の知恵で1問、2問と見事に解答し、もっとも難しい第3問
 も、七曲がりの穴の片方にミツをぬり、他方の穴から蟻に糸を結んで進ま
 せることで、穴に糸を通すことができ、見事3問すべて解答することがで
 きました。

 これ以来、知恵ある年寄を追放することはなくなったそうです。




本日のゴールとうけいじんじゃ

新熊野権現、新熊野十二所権現、新熊野鶏合権現、鶏合宮、田辺宮などなど、
種々の社名のある神社で、熊野別当湛増が源平合戦の出陣にのぞみ、源平い
ずれに味方するかで紅白の鶏を戦わせた故事にちなみ現在では
とうけいじんじゃと呼ばれています。
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本日のコースは坂がナシ、距離も短いため本当の「悠々遊歩」。
一番の苦労はとうけいじんじゃの『けい』の字が
私のパソコンでは出なかった事であります。
TOPの地図は「闘鶏」になっておりますが、ご勘弁下さい。



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