2006年10月21日

A回 大吹峠・松本峠

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大阪梅田
阪神高速→南阪奈→169号線・東熊野街道 鬼ケ城センター
大吹峠登り口 大吹峠 大泊海岸 松本峠登り口 松本峠 木の本神社
獅子ガ岩 花の窟 東熊野街道
→南阪奈→阪神高速 大阪梅田


 
本日のルートは近畿の秘境中の秘境、紀伊半島のど真ん中を
縦断する国道169号線。
畝傍山 を仰ぎ、明日香を抜け、大台の山を左に、大峰を右に・・・
通称・東熊野街道を4時間強かけて熊野灘へ抜けます。
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大阪8時発、途中トイレ休息2回、12時20分鬼ケ城センターに到着で、
早速昼食です。
名勝・天然記念物の鬼ケ城の見物は他日に譲って本日はナシ
                                   (1/27の予定)








伊勢路は、伊勢の田丸 (現度会郡玉城町) から初瀬本街道と分かれ、
多気町相鹿瀬、大台町栃原、大宮町滝原さらに大内山村間弓を経て、
東紀州地域を縦断し、熊野速玉大社 あるいは熊野本宮大社へ向かいます。
その特色としてあげられることとして、石畳道が良好に残ることと、紀州
徳川藩初代藩主・徳川頼宣による熊野街道の整備に伴い、東海道などの
いわゆる五街道以外の 街道としては異例な 宿駅や 一里塚が設けられた事
などがあります。また江戸時代はお伊勢参りから熊野詣へ、そして西国観音
霊場巡り
へと向かう、とくに東国の巡礼者が多かったことといわれています。




大吹峠
伊勢路の中では一番古い時代である鎌倉期のものといわれる巨石の石畳
が残っている坂道を登りつめると大吹峠、見晴らしは無し、木立の中です。
昭和25年頃までは、大吹茶屋があったと 言われていますが…




大吹峠は風情ある竹林の中を、猪から田畑を守る猪垣が続いています。
東紀州には猪垣が各所で見られるそうですが、ここのは特に長く、延々と
10kmも続くとか。かつては毎年”ねあらけ”といって、地元民総出で石垣
の補修にあたっていたと聞きました。00




峠からの降り口には、竹林が広がっていて、ひっそりとしたきれいな道です
竹林は間もなく終わり、緩やかな下り道が人工林の傍を通っています。0
緩やかな下りを40分ほど歩いていくと、お地蔵様、案内標識を経て、大泊の
海水浴場が見えてきます。 すぐ目の前の国道311号線を跨ぐと、松本峠の
登り口で、トイレもあります。0
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松本峠へは少し急な石段を登り、苔生した石段をエッチラ・オッチラ
30分ほどで松本峠に到着します。0
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松本峠
峠に残る等身大のお地蔵様には、昔、鉄砲の名手が、この地蔵を化け物と
まちがえて撃ってしまったという鉄砲弾の跡が残されています。0




大泊から松本峠を越え木本町までの道は、古道の雰囲気がよく残っていて
変化に富んだ楽しいコースです。 色よく 苔むした石道は 室町・鎌倉時代。
キチッと整備された石畳は江戸時代以後のものでしようか。




吉田大明神
安政二年三月木本方面の二七ヶ村(紀州藩領)と有田方面の五ヶ村(新宮領)の知行替が
発表されるや木本など二七ヶ村は200年来の紀州藩主から離れることを喜ばず、且重税
に見舞われるであろうことなど予測して猛反対を展開一揆の様相をていしいわゆる安政の
村替騒動となった。
00このとき 江戸詰御勘定奉行の 吉田庄太夫が 命をうけて木本に来
り、説得にあたったのですが民意の動かざるを察し、ついに独断で「村替御据置」との誓紙
を手交江戸に帰って村替を中止せしめた。かくて三年起しの大騒動は民衆の勝利に帰した
が、庄太夫は独断の責を負って自刃して果てたという。
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やがて熊野二七ヶ村の村々では吉田大明神祠を建てて村鎮めの神として崇めました。

熊野市指定文化財、木造の狛犬と立て札にあったので探してみましたが
見当たらず。大事々々に仕舞ってあるのかナ。000000000
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獅子岩
二・三度前を通った覚えはありますが、いつも観光バスの窓ら一瞬の見物。
今日はウォークなので思う存分…000
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花の窟 はなのいわや
七里御浜に突出する高さ約70mの巨巌を神体とする巨巌の根元に方5mほどの祭壇を
設けて白石を敷き玉垣をめぐらして拝所とする。神殿はなく巨巌を崇敬する太古の風習
を残している。
「日本書紀」神代上の一書に「伊弉冊尊、火神を生む時に灼かれて神退去りましぬ。故、
紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。土俗、此の神の魂を祭るには花の時には亦花を
以て祭る又鼓笛幟旗を用いて歌ひ舞ひて祭る」と記され、伊弉冊尊を祀る。
熊野市指定文化財 史跡 天然記念物 花の窟祭祀遺跡 
0お網掛神事 (三重県指定無形文化財)
「日本書紀」に記されていることが今に引き継がれ、2月2日と10月2日には多くの人々が
集まり「お網掛神事」が行われる。網は 藁縄7本を束ねた物で、花をつけた3つの縄旗が
吊るされている。
この縄旗は 朝廷から毎年奉納された錦の旗であったが、洪水で旗を積んだ船が難破し
たため、縄でその形を模したのがその始まりと伝えられています。
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