2006年10月19日

ウォーク 
紀伊路
JR阪和線・山中渓駅10時10分集合
       布施屋駅15時15分解散




                 

集合の山中渓・わんぱく広場




境橋(日本最後の敵討ちの場)
幕末の安政4年(1857) 土佐藩士・廣井大六は 棚橋三郎との口論の末切られ、川に投げ
込まれて命を落としました。 三郎は藩を追放され、大六の一人息子・岩之助は、父の仇を
討つため三郎を探す旅に出ました。 当時はすでに仇討ち禁止令が出されていましたが、
岩之助の並々ならぬ決意におされ、翌年の安政5年(1858) 勝海舟の取り計らいによって
「仇討ち免許状」が交付されたという。                               0
 その後、三郎が加太に潜んでいることを知った岩之助は、紀州藩に 仇討ちを願い出た。
それをうけた奉行所が「三郎を国払いとし境橋より追放するので和泉側にて討つべし」とし
たため、和歌山と和泉の国境である紀州街道の 境橋 の北側で、岩之助は見事父の仇を
討ったのだそうだ。 時は文久3年(1863)、時代が江戸から明治へと移る 5年前の出来事
でした。こうして境橋は日本で許された最後の仇討ちの場所となりました。           0





中山王子跡
紀州に入って初めての王子社で雄ノ山への登りを控えて、峠越えの準備と
休息をかねて設けられましたが、江戸時代に入り、ルートの変更などにより
衰退しました。                                    0



雄ノ山峠
高低差200mと聞いて大変ダ〜と覚悟しておりましたが、知らないうちに通り過ぎておりました。




山口王子跡
山口王子は泉州から和歌山へ入った二番目の王子社で雄ノ山峠を越えて山を下りた地点。
設置されている 万葉歌碑 は 読み難いですが、この王子社の隣に紀の関所があったらしく、
歌にそれが読みとれます。                                       0
わが背子が 跡ふみ求め追ひ行かば 紀伊の関守 い留めてむかも(笠金村)




昼食の山口神社




えびす井戸
この井戸の奥に「えびす」が祀られていましたが、明治40年代に山口神社に合祀されました。
紀伊風土記には元保十年に「えびす小祠」の記述があります。




川辺王子跡中村王子跡
かつて、上野の集落の天狗松という大きな松の根っこに「八王子」と呼ぶ祠があり、
これが御幸時代の川辺王子と言われていますが、現在は枯れてしまいました。  0
のちに「力侍神社」に合祀きれ、この力侍神社の参道にも川辺王子跡の石柱が有り
ました。                                             0
中村王子跡
は看板があるのみで、王子社の痕跡は何も残っておりません。
熊野御幸記では定家が中村王子へ参ったあと、水垢離をとって御幸をお待ちしたと記していますが・・・




紀ノ川
に掛かる川辺橋を渡ると、布施屋は目の前です。
大台ケ原に源を発する吉野川が和歌山県に入って、紀ノ川と名前が変わります。
有吉佐和子/著 紀ノ川で一躍その名を有名にし、人々は紀ノ川を「紀伊の母なる川」
と呼び親しんでいます。                                    
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吐前王子跡
紀ノ川南岸の船着場で宿場にもなっていた所です。時代と共に川の流れが変わり、
寂れていった 王子社 で、現在は畑の中が 王子跡 ですが、何も残っておりません。



ゴールの 布施屋駅は 自動券売機が一台あるだけの 無人駅ですが
今日は特別に二人の駅員さんが我々の到着を待っていてくれました。
どうやら気の利いた 大歩協スタッフの 計らいのお蔭と感謝してます。




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