大阪府歩け歩け協会   2006/2/9

熊野街道シリーズ(W)
大鳥大社〜和泉府中

JR鳳駅大鳥大社等乃伎神社葛葉稲荷神社池上曽根遺跡聖神社
平松王子跡泉井上神社JR和泉府中駅

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等乃伎神社
延喜式内社で『続日本紀』に「中臣殿来連竹田売」とあり、中臣氏の一族である殿来連が天児屋根命を当社に奉祀したという。
『古事記』下巻の仁徳天皇の頃に、巨木伝説があり、「冤斗河(とのきかわ)の西に巨木があり、朝日の影は淡路島、夕日の影は
高安山を越えた。この木を切って枯野という船を造り、朝な夕なに淡路島の聖水を運んで天皇に献上した。この船が壊れてから
その廃材を焼いて塩を作り、燃えない部分で琴を作ったところ素晴らしくいい音色を発し、遠くの村里まで響き渡った」と伝えてい
ます。
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葛葉稲荷神社
約千年余り前、今の大阪市阿倍野の里に阿部保名が住んでいた父は豪族であったが人にだまされ所領を没収されたので、
保名は家の再興を願い、当地信太森葛葉稲荷に日参していた。ある日のこと、数人の狩人に追われた一匹の白狐を助けた。
そのとき保名は手傷を受け.その場に倒れた。白狐は 葛の葉という女性に化け、保名を介抱して家まで送りとどけた。
それから数日後、葛の葉は保名を見舞い、やがてお互いの心が通じ合い、妻になり童子丸という子供をもうけた。
その子が五才のとき、正体がわかり、
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の一首を障子に書き残して 信太の森へ帰ったと言い伝えられる 。
この
葛の葉伝説にまつわるがお祀りされているのがこの神社です。
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池上曽根遺跡
総面積60万m2もの規模をもつ大遺跡です。弥生時代の全期間 (2300〜1800年前) を通じて営まれた
、わが国屈指の環濠集落(周囲を溝で囲んだ集落)と言われています。
1976年に環濠に囲まれた範囲を中心に約115,000m2が国史跡に指定されました。池上曽根遺跡がもっとも栄えた
弥生時代中期(2200〜2000年前)の姿を現代によみがえらせるために、1995年から史跡整備を行なっています。
昼食の池上曽根遺跡でふと足元を見ると、地面から謎のロープが生えている。
両手でグイッと引っ張れどビクともしない??? 随分深く埋め込まれている ・み・た・い・
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聖神社
天武天皇の白鳳三年(675年)秋八月十五日で、永く国家鎮護の神として、信太首が斎き祀ったものであり、信太聖神、又は信太
明神とも云う。 往時は広大な神域を誇っていた。近くには景初三年銘のある画文帯神獣鏡出土の黄金塚古墳や池上曾根遺跡な
ど重要な史跡がある。 当社は
泉州五社(大鳥・泉穴師・聖・積川・日根)の三の宮で、現在の本殿は慶長9年(1604年)に豊臣家
によって造営されたものである。 祭神の聖神は素盞嗚尊の子神の大年神が伊怒姫を娶って生んだ大国御魂神、韓神、曽富理神
向日神、聖神の末子である。 「日知り」の神・すなわち暦の神である。半島系渡来氏族の陰陽師が信仰していた神である。
陰陽博士として名高い
安倍晴明の誕生に絡んだ伝説も伝えられています。
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泉井上神社
元正天皇の霊亀二年ここに和泉監を置き、この土地が国府となり、地方政治の中心となりました。その傍に総社を建立し、大鳥
穴師、聖、積川、日根野の神をおまつりし、御諸別命とも合わせおまつりされています。和泉大社、和泉総社と呼ばれ泉州全体
の氏神として崇敬され、一般の人々の信仰も厚くしばしば神異があり、その都度、勅使の奉幣がありました。


最近、小津丈夫さんのHPの画に惹かれてます。カメラ三昧の私ですが、こんな絵が描けたら…
一度ここして水彩画の世界を ご覧下さい。



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